今回は3Dのネタではないのですが、制作環境について小話などを少々…
最近、秋葉原からアクセスしやすい北千住に引っ越しました。
そして、念願の自宅スタジオ環境を整えることができました。
対重量120キロの横幅180センチの折り畳み工作机6000円を3つコの字に並べ、
お絵描き
3DCG
書類仕事
アナログ原型、塗装
カメラの手入れなど
椅子をクルクルさせれば別の領域で作業できる環境を作りました。
さらに、書斎兼寝室として、和室風の書斎も分け、リラックスして読書に勤しめます。
一つの狭い机で済ますのではなく、仕事後の種類ごとに作業領域を変え、頭を切り替えることが大切らしいです。
アキバ近郊にいらっしゃった際には、お気軽にお誘いください。
食料と飲み物の差し入れがあれば、いつでも歓迎いたします。
さて、今回は、そんな、弘法も筆を選ぶ、というお話です。
なぜ僕が制作環境にこだわるのか、
実は、私は数奇な半生を辿っておりまして、
満足な制作環境を得ることがずっとできなかったからです。
過去回想です。
幼少期、両親が離婚、アパートから実家へ
実家は家数件と東屋と茶室が3つある旧家で、祖母は茶道と華道と書道と古典の先生、
母は文化服装学院を飛び級で卒業た天才服飾デザイナーで、あらゆる手芸のカリスマ、スワロフスキーの展示用の作品などを作ったり、ワークショップで人に教えながら生計を立てていました。
祖母も母も教え子に囲まれて、楽しそうに芸術家としての毎日を過ごしていました。
それが僕の幼少期。
素晴らしい制作環境でした。
ありとあらゆる工作道具があり、道具があり、たくさんの部屋があり、離れに物置にガレージもあり、何を作るにも正に完璧な制作環境が整っていました。
そこからジェットコースターのような転落人生。
十風満帆に大学進学の勉強を進めていた自分と、高校受験を控える妹。
母が末期ガンと診断され、僕は大学進学を一旦諦め、国家公務員である陸上自衛官になります。
そして妹が高校に上がった頃に母が亡くなりました。
僕の本籍地は流され、親族もほとんど死に絶えました。
まさに、お家断絶。
実家も家族も大ダメージどころか、僕の一族はそこで滅んだわけです。
自衛隊として、群として働くことで大きなものを救える、しかし、僕は、母も、家族も、土地も、多くを失いました。
自衛隊は必要で立派な組織です。
しかし、自分が自衛官として守りたいものがもうなくなってしまいました。
僕は亡き母の、かつての栄光の日々を取り戻すべく、上京します。
状況先で待っていたのは貧乏生活!
妹も大学進学を控えており、お金はそちらに使っていました。
家は六畳一間、エアコンも風呂もガスコンロもないボロアパート。
しかし僕は美大生。機材に囲まれて正に最悪の制作環境の中でひたすら仕事をしたり、自主制作に勤しみました。
ちなみに、僕の唯一自慢できる事は、クリエイター業務以外の仕事は一切受けていない事。一般職のアルバイトもしていません。
どんなに苦しくても、自分は芸術関係の仕事しかしないのだと強く心に誓っていました。
そんな苦しい生活が2年近く続き、引越します。
今度は風呂ありの6畳一間。
風呂があるって、人間が文化的に過ごせる最低限度の生活ですよね…強く思いました。
そこで少しマシな制作環境を整え、ようやく人に評価されるような作品が作れるようになりました。
この頃、東京に来て初めて椅子を買いました。
今までは衣装ケースの上に座って制作していたため。体が悲鳴をあげていました。
この頃にSketchfabのPick作品に選ばれたり、なんだりしています。
相変わらず仕事と大学の日々、
六畳の狭い部屋には連日仲間が押しかけ制作制作の日々です。
六畳一間に5人が宿泊していったこともあります。
仕事で作っていたアプリ制作が終わらず、うちに泊まり込みで、3人以上で3ヶ月くらい共同生活していた時期もありました。
正に劣悪な制作環境。
僕には人が集まって制作できる広い家が必要でした。
せめて、寝る場所と制作スペースは分けたい。
そう考えているうちに色々あり、
アメリカのマサチューセッツ工科大学に潜ったり、フィリピンに行ってCG技術の普及をしたりと、いろいろなことをやり、技術者として色々な会社に赴いてアドバイスをしたり、教壇に立つ機会も増えました。
そろそろ引っ越そうと思っていたのですが、そこで自分の身分がないことに気がつきます。
そう、僕はもう学生ではなかった…
学生のうちからCG屋として活動していたため、学生でなくなった時にはもう、身分がなくなっていました。
フリーランス、というのは社会的な信用がありません。
収入の安定もない。
僕は更新時期で借り家を出たものの、行き場を失い、マンスリー賃貸でホテル暮らしのような日々を送ることになります…
これがキツかった。
1日役5000円。更に、ベットと小さな机しかないビジネスホテルと同じような間取りなので、駐車場やら貸し倉庫やらを借り、
なんと月々の支払い総額が家賃関係だけで20万近く行っていました。
そんな生活が一つの季節の間続きました。
僕の精神状態はボロボロ、
制作環境も最悪で、小さな画面、小さな机、硬い椅子で仕事を続けます。
そんな中で、妹、大学時代の先輩、後輩などが一斉に大企業に就職、みんな良い生活を始めます。
僕はなんで毎月20万も払って最悪な生活を送っているんだ…ということで
お金は減る一方だろう、貯金していても減る一方だ。
自衛隊の頃からセコセコと節約してためて来たお金をもう使ってしまおうということで
200万円の封筒をポケットに入れ不動産をまわりました。
流石に現金で200万円出せば貸してくれるところは見つかり、
いまの40平米の、まともに人間らしく暮らせる部屋になりました、
というめでたしおもらしなお話です。
僕は確実に難民です、難民でした。
クリエイター難民です。
クリエイターなのに制作環境がろくに作れない難民でした。
10年もの間、劣悪な環境で連日徹夜で制作し続けました。
自衛隊のベットの中で懐中電灯の明かりで絵を描き、CGの参考書を読み漁り、
六畳一間にタコ詰めで3ヶ月間アプリ開発に勤しみ、
アメリカではカメラとスケッチブックを片手に2ヶ月間ホームレス生活、
ビジネスホテル暮らしで限界を迎えました。
3度倒れ、その際、何度も肺炎で入院しかけています。
そう…お分かりですね?
制作環境が、何よりも重要なのです。
あなたの健康を損ない命を奪うのはタバコだけではありません。
制作環境、仕事環境です。
クリエイターにとって、生活の全てが創作であり仕事。
そんなクリエイターだからこそ、環境にはお金を使わないと、死んでしまうのです。
新しい制作環境では、CGワールド掲載を始め、いつくかの良い仕事が成功しました。
僕には使命があります。
僕は、難民や親のいない子供の苦労がよく分かる。
だからこそ、災害や戦争で多くを失った子供達の生活と心を支える技術を発信する必要がある。
失ったものが癒される唯一の方法、それは、新たにものを生み出すことです。
一番お金のかからない方法が、デジタルアートです。
そして、デジタルアートを極めれば、仕事はいくらでもあります。
僕は、デジタルアートの技術や手法を広めることで、僕たち兄妹のように親を失い、生活の基盤を失った子供達、若者に希望を与えたいのです。
というか、正直僕が救われたいのです。
そのために、アメリカやアジアを旅しました。
多くの教育ビジネスにコネクションをもつため、講師の仕事もしています。
僕にはもう少ししなくてはならないことがあります。
僕は海外を旅する中で、日本人は、たとえ孤児でも、人に施せる人間になれるほど豊かな国だと感じました。
僕は、そんな孤児達と組みたい。
僕自身がもう少しだけ影響力と実力を持つ必要はあるけど、
先進国から、難民の多い途上国にアートビジネスを流す。
ストリートチルドレンや、ギャングの中にもグラフィティーの才能のある子供達は多い。そんな彼らの才能と人生を救うための教育システムを作る。
貧富の差が自業自得か?No。子供達にはなんの罪もないのです。
いま孤独と戦っている日本の子供、そして、それをはるかに超える苦しみの中で生きる海外の子供、
せめて才能のある奴だけでも救える仕組みを作りたい。応援していただける方がいれば、心強いです。
と、これは僕の宿題、死ぬまでにしなきゃならない生きる目的なんですが、
7月、
全部で10コマの講義があります。
デジタル原型に興味があるある方はワンフェスに、
ゲームアートやCGイラストに興味のある方は、ぜひパルミープレミアム講座の方を除いてやってください。
最終的に告知記事になってしまいましたが、
制作環境は大事だよということ。
そして、デジタルアート教育で世界中の不幸な子供に戦う力を、というお話でした。